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毅然とした人生の華 ES2
滝乃川学園A
幸子を授かった半年後、筆子はクリスチャンになり、神への思いが後の人生の支えになります。

明治23年に二女に恵まれたものの生後すぐに死去、翌年に生まれた三女の康子は虚弱で、無事に成長できる見込みはないと医師から宣告を受けた(7歳で死去)。


男子を産めないばかりか、一人として健康な子どもを産めない、母親しての悲しみは察するに余りあるものがある。

そしてさらに不幸は続き、夫も肺結核を患い、35歳の若さで旅立ちます。

本来なら幸子か康子に入り婿を取って家を継いだはずですが、病弱で知的障害とあっては婿は望めぬと小鹿島家から離縁を言い渡され、筆子は二人の娘たちとともに渡邊の姓に戻るのです。


次から次へと押し寄せる試練の渦中にあって、筆子は何を思ったのか、彼女が好んで口ずさんだ賛美歌の一節。

険しき山路も 小暗き谷間も 主の手にすがりて 安けく過ぎまし(賛美歌の一部)


34歳になった筆子は華族学校の教員のほかに、静修女学校の校長も兼任することになる。

ここで筆子は念願だったキリスト教精神に基づいた女子教育を行い、低所得者層の女生徒たちも受け入れた。

そしてここに講師として現れたのが、後に夫となる石井亮一だったのです。


亮一は敬凄なクリスチャンで、立教大学を卒業後、その人格と実力を見込まれて24歳の若さで立教女学校の教頭に抜擢された。

滝乃川学園
ところが災害等で親を亡くした幼い女の子たちが人身売買されていくことに憤慨し、全財産を投じて東京の北豊島郡滝野川村に学園(後の滝乃川学園)を建設し両親のいない少女たちを引き取るのです。

少女たちの中に知的障害児がいたことが導きとなって、亮一は当時その分野で最先端の研究が行われていたアメリカに留学をします。

日本では「運命として諦めるしかない」といわれていた知的障害児にも、その発達を促す教育があることを知って帰国し、一生を障害児教育に捧げました。


筆子は亮一の教養と人格を信頼し、幸子を学園に預け、同時に彼の支援者となり、亮一もまた筆子の人柄に引かれ、同志的結合で結ばれていた2人の関係はやがて深い愛に変わり、明治36年に結婚。

筆子42歳、亮一36歳だった。


3人の子どもを産んだ未亡人である筆子と、6つも年下で初婚だった亮一との結婚は当然両家の祝福を得られることはなく、式は2人を心から応援してくれる数人だけでひっそりと行われた。

結婚を機に滝乃川学園に移り住んだ筆子は、華族女学校の職を辞し、校長を務めていた静修女学校を親交の深かった津田梅子に託すのです。

これが梅子の女子英学塾と統合され、後の津田塾女子大学となります。


石井筆子はこれまで教育者として築き上げてきたすべてを捨て、残りの人生を障害児教育へ捧げることを、この時決意します。

次に続く!



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■ニックネーム:人生の彷徨人
■住まい:神奈川県
■半世紀を過ぎた人生を振り返り、4人の息子に囲まれながら第二の人生を歩んでいます。

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