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毅然とした人生の華 ES1
滝乃川学園A
日本最古の知的障害者施設である「滝乃川学園」をつくった石井亮一の妻であり、「日本障害児教育の母」といわれる石井筆子(いしい・ふでこ)の生涯を綴ってみます。


筆子は文久元(1861)年、肥前国大村藩(現・長崎県)の中堅武七・渡邊清の娘として生まれました。

父は明治維新の志士であり、新政府では福岡県令や元老院議員を歴任し、男爵となった傑(すぐれ)物だった。

叔父の昇も坂本竜馬とともに薩長同盟に尽力、子爵に叙せられた人物で、『鞍馬天狗』のモデルとなったとされている。

石井筆子
日本で最初の女子教育機関である東京女学校を卒業した筆子は、18歳の若さで皇后の命を受け、津田梅子らとともに日本初の女子海外留学生として2年間ヨーロッパに派遣された。

帰国後、23歳になった筆子は四歳年上の小鹿島果(おがしまはたす)と結婚します。

小鹿島は同じく大村藩の家老の血筋で、工部大学校(後の東京帝国大学工学部)を卒業し、統計院に勤める高級官僚でした。


非常に進歩的な考えを持っていた人物だったようで、「ヨーロッパで得た知識や経験、語学力を社会のために役立てたい」と、請われて華族女学校のフランス語教師として働く筆子にも理解を示していた。

後に大正天皇と結婚した貞明(ていめい)皇后も筆子の教え子の一人となります。

2人が結婚する前年に鹿鳴館(ろくめいかん)ができ、時は欧化政策の真っ只中だった。


夜な夜な国内外の上流階級を集めた舞踏会や園遊会が催され、その時に頼りになるのは筆子をはじめとする海外留学経験者たちでした。

持って生まれた気品に加え、ヨーロッパで身につけたマナーと教養、英語、フランス語、オランダ語の3か国語を使いこなす語学力、そして当時の「日本で5本の指に人る」といわれたほどのその美貌で、筆子は「鹿鳴館の華」と呼ばれ、前アメリカ大統領のグラント将軍来日の折には、「日本でもっとも聡明な女性」と言わしめた。


何不自由のない人生といっても過言ではなかった筆子の人生が、長女・幸子の誕生を機に一変する。

幸子がいまでいう知的障害児だったのです。

幸子を産んだのは国を挙げて富国強兵に向かっていた時代で、生産能力がない知的障害児は「痴愚(ちぐ)」「白痴(はくち)」と蔑(さげす)まれ、義務教育も受けられない状態だった。


裕福な家では座敷牢に閉じ込めて育てていましたが、貧しい家では家の柱に括りつけたり、中には足を切断して外へ出られなくしたという記録も残っている。

羨望のまなざしから一転、「鹿鳴館の華」と持て囃(はや)した筆子のことを、新聞はこう書き立てた。

『美人笑中に泣く、憐れなり』

筆子ほどの家柄ならば体裁を重んじて、金一封つけて幸子を里子に出し、鹿鳴館を飛び回るような人生も可能だったが、筆子は生涯幸子を手元から離さず、いばらの路を歩み続けていくことになります。

次に続く!



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■ニックネーム:人生の彷徨人
■住まい:神奈川県
■半世紀を過ぎた人生を振り返り、4人の息子に囲まれながら第二の人生を歩んでいます。

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