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武士道精神に学ぶ ES2
米沢興譲館は藩政改革で有名な上杉鷹山(ようざん)が創設した藩校で、そこは伝統的な武士道教育が行われていた。

工藤は海軍士官になるべく志を固め、大正8年、当時超難関とされた海軍兵学校に入学を果たします。

身長180cmを超える巨漢で柔道は相当の腕前でしたが、ただ人間的には無口なおっとりとした文学青年だったという。

温厚で強さを表に出すことはなく、細かいことには一切口を出さないが、締めるところは締めるというように硬軟を使い分ける明治の海軍軍人を彷彿とさせる人間だったようです。


海軍兵学校時代、工藤の人格形成に大きな影響を与えたのが入校時の校長、鈴木貫太郎中将(当時・後の終戦時の総理)だという。

鈴木校長の教育方針は武士道だった。

工藤が薫陶(くんとう)を受けたのは約半年間でしたが、この間、鈴木校長は武士道に基づき従来の教育方針を大転換するのです。

その一つが鉄拳制裁の禁止、つまり下級生を暴力で屈服させてはならないという教えでした。

実際、工藤ら兵学校51期生は、この教えを忠実に守って鉄拳制裁を行わなかったばかりか、下級生を怒鳴りつけることもなく、自分の行動で無言のうちに指導するという、武士道の原点を一貫して守り通していくのです。


工藤中佐は周囲から「大仏」と呼ばれるくらい、普段はおっとりとして身辺を飾ろうとはせず、大東亜戦争の末期の緊迫した頃でも、工藤中佐の周りはほのぼのとしたファミリー的な雰囲気が漂っていて気が休まったという旧部下の証言もある。

その指揮の仕方は駆逐(くちく)艦長としてはかなり型破りで、着任の訓辞も「本日より本艦は私的制裁を禁止する。特に鉄拳制裁は厳禁する」というものであった。

それに日頃から士官、下士官に対し、「兵の失敗はやる気があってのことであれば、決して叱ってはならない」と口癖のように言っていた。

見張りが遠方の流木を敵潜水艦の潜望鏡と間違って報告した時も「その注意力は立派だ」と逆に誉めたという。


工藤中佐は戦闘指揮官としてもかなり優秀で、彼は艦長時代、敵潜水艦から合計5回の雷撃を受けているが、全部回避して生還し、うち3回は相手に反撃して撃沈している。

それだけ卓越した戦闘指揮能力をもったリーダーで、武士道というと強さばかりが強調されがちだが、工藤中佐は強さだけでなく、それと同じくらいの深い温情を持っていた。


士官兵の区別なく酒を酌み交わしたり、兵の家庭が困窮している事情を耳にすると、下士官に命じて、その兵が家庭に送る送金袋にそうっと、自分の俸給の一部を差し入れたという。

この様な工藤中佐の性格は、着任後2か月もすると「雷(いかづち)」の乗組員が中佐に感化され、「この艦長のためなら、いつ死んでも悔いはない」とまで公言するようになった。

艦内の士気は日に日に高まり、乗組員の技量も最高度に達し、英兵の救助活動ではその力が見事に発揮されるのです。

次に続く!


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■半世紀を過ぎた人生を振り返り、4人の息子に囲まれながら第二の人生を歩んでいます。

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