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武士道精神に学ぶ ES1
昭和17年のインドネシア・スラバヤ沖海戦で撃沈されたイギリス艦船の漂流者422名を救助した帝国海軍の中佐・工藤俊作という人を知ることはほとんどなかった。


平成15年6月、NHKラジオの『ワールドリポート』で工藤俊作の名は公になり、世間の知るところとなる。

彼は小さな駆逐艦(くちくかん)に、乗組員220人の2倍近い将兵を乗艦させた上に、敵兵である彼らをゲストとして厚くもてなした。

この中に工藤中佐に命を救われた、後に駐スウェーデン大使などを歴任したサムエル・フォールはロンドンで、「このような美談が、なぜ日本で報道されなかったのだろうか」と興奮した口ぶりで語っている。


その美談の一部始終をサムエル・フォールは次のように語る。

その時、400人以上の将兵たちは24時間近くジャワ海をボートや木板に乗って漂流しながら、皆すでに生存の限界に達していた。

中には軍医から配られた自決用の劇薬を服用しようとする者もいた。

そういう時、目の前に突然駆逐艦「雷(いかずち)」が現れる。

これを見たフォールは「日本人は野蛮だ」という先入観から、機銃掃射を受けて殺されると覚悟を決めたという。

ところが、「雷」は直ちに救助活動に入り、終日をかけて全員を救助し、さらに重油と汚物にまみれ、弱り切った将兵を帝国海軍の水兵たちが抱えながら服を脱がせ、汚れを丁寧に洗い流し、自分たちの被服や貴重な食料を提供し、友軍以上に厚遇した。

さらに工藤中佐が英国海軍士官を甲板に集めて敬礼し、「私は英国海軍を尊敬している。本日、貴官たちは帝国海軍の名誉あるゲストである」と英語でスピーチした。

フォールは、まさに「奇跡が起こった」「夢を見ているのではないか」と思って自分の腕をつねったと語り、最後に工藤中佐のこの行為を「日本武士道の実践」と絶賛した。


工藤俊作は明治34年、山形県の旧屋代村の農家に生まれている。

軍人になろうと決意したのは小学校3年生の時に広島湾で起きた第6潜水艇の沈没事故が大きなきっかけだった。

この時、艦長の佐久間勉大尉は酸素が消耗していく艦内で天皇陛下に対して事故の責任を詫(わ)び「部下の遺族をして窮する者なからしめ給はらんことを」という遺書をしたためた。

佐久間大尉の遺書は工藤が通っていた小学校でも校長の訓辞と共に伝えられ、これにいたく感動した工藤は担任の教師に「農民でも海軍士官になれますか」と聞きます。

「もちろんなれる」という返事に勇気を得た工藤は、地元の米沢興譲館中学に入学するために猛勉強を始め、その目標の第一歩を歩むのです。

次に続く!



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■半世紀を過ぎた人生を振り返り、4人の息子に囲まれながら第二の人生を歩んでいます。

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