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私とあなた
私が両手をひろげても、
お空はちっとも飛べないが、
飛べる小鳥は私のように、
地面を速く走れない。
私がからだをゆすっても、
きれいな音は出ないけど、
あの鳴る鈴は私のように、
たくさんな唄は知らないよ。
鈴と、小鳥と、それから私、
みんなちがって、みんないい。       (金子みすゞ:『私と小鳥と鈴と』)


金子みすゞの詩は人間の詩だといわれている。

みすゞの詩というのは、民族も宗教もイデオロギーも超えて、人間本来の眼差しで歌われているからです。


人間を温かく見つめるみすゞの詩の原点はどこにあるのかと言えば、それは自他一如(じたいちにょ)、「私とあなた」という眼差しのようです。

私たちは誰しも自分が人間だという認識を持って生まれてきたわけではない。

両親や周囲の人たちの姿を通して、初めて自分は人間だということを認識できる。


あなたがいなければ私は存在しえない、つまり、二人で一つという考え方です。

だから幸せや悲しみを感じる時も、片一方が幸せの時にもう片方が不幸という構図は本来ありえない。


自分が悲しければ周りの人も悲しい、あなたが苦しければ私も苦しい。

それは「自分」という存在は自分以外の誰かがいて、初めて成り立っているという基本的なことを思い出させてくれているからなのだと思います。

自分一人ではない「あなた」の存在を意識してみると、また別の世界が広がるのではないでしょうか。



金子みすゞ名詩集
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テーマ : ことば
ジャンル : 学問・文化・芸術

詩に込めた 心の詩 ES1
『七つの子』『赤い靴』『十五夜お月さん』など数多くの童謡を残した野口雨情。

その野口雨情の童謡『シャボン玉』は、野口雨情が2歳で病死した娘のために書いた詩です。


「シャボン玉とんだ/屋根までとんだ/屋根までとんで/こわれて消えた」

「シャボン玉消えた/とばずに消えた/生まれてすぐに/こわれて消えた」

「風風吹くな/シャボン玉とばそ」


雨情は亡き娘への思いをシャボン玉に託し、風よ吹くな、娘の命よ、
天高くまっすぐに舞い上がっていけと願い、この鎮魂歌を作っている。


野口雨情は明治15年、北茨城の富裕な地主の長男として生まれている。

野口家は廻船 (かいせん) 問屋を営み、雨情は乳母日傘 (おんばひがさ) で大切に育てられるが、15歳の時、母から「家を出て勉強をしなさい。学問は人を担 (かつ) ぐものだから」と言われ、東京の叔父の元へ出されるのです。

雨情は東京専門学校(現早稲田大学)で坪内迫遥に出会い「君はローカルカラーを書きなさい」と助言を受けます。


詩人としての第一歩を踏み出した雨情の行く先は、順風満帆のように見えたが、明治30年に地元の鉄道が開通したことから、雨情が20歳の時に家業の廻船問屋は廃業となります。

家は大変な負債を背負い込んだうえ、3年後には父親が亡くなります。

自費出版した処女詩集も、詩壇では見向きもされなかった。

絶望の淵に立たされた雨情は、やみ難い詩への欲求からか家を去り、一人北の地を目指します。


北海道で新聞記者をしながら詩作に励んでいたが、母の仕送りなしには満足に食べていくこすらできなかった。

詩壇では北原白秋など、多くの詩人や歌人が次々と世に出ていった頃、雨情は心身ともに疲れ果て帰郷するのですが、その後、彼を待っていたのは最愛の母の死でした。


失意と焦燥の中、雨情は妻と協議離婚をし、17歳年下の女性と再婚をします。

社会の冷たい目を浴びながら雨情は心中をしようと2人で旅に出るのですが、その妻から慰められ、励まされます。

そして自らの心象風景を綴ったのが後に『船頭小唄』となる詩でした。

「己は河原の枯れ芒 (すすき) /同じお前も枯れ芒/どうせ二人は/この世では/花の咲かない/枯れ芒」。

芒は秋になると枯れて実が落ち、その落ちた実が次の年に新芽になって出てくる。

枯れ芒の習性を自分の人生に重ね合わせて新たに生きることを思い、雨情は立ち上がります。


次に続く!


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詩に込めた 心の詩 ES2
雨情はこの詩に曲をつけてほしいと、作曲家の中山晋平を訪れます。

しかし中山晋平からは「いやに暗い詩で、読んだだけで泣き歌になってしまう」と断られるのですが、2度、3度と断られた末、雨情は「このように曲をつけてください」と、自作の詩を「雨情節」といわれる独特の節回しでしみじみと歌い上げた。

中山晋平は胸を打たれ、腰に下げてあった手拭いをぱっと手に取ると、そこに五線譜を書き取り、そのメモを元に『船頭小唄』を書き上げた。


魂と魂をぶつけ合った2人は、親友を超えた友となり、以後200曲もの童謡をともに作り上げていくのです。


『船頭小唄』は大流行歌となった。

しかし、関東大震災が起こった折に「あんな退廃的な歌を作ったから大地震が起きたんだ」と雨情はマスコミから非難されます。

しかし民衆たち自身の力でこの歌を歌い上げ、『船頭小唄』は新たな社会を創っていくのです。

そこで初めて雨情は自分の鎧 (よろい) をすべて脱ぎ捨て、"民衆の詩人"として生きていこうと決意するのです。

雨情は日本を住みよい国にしたい、また生きる力を童謡を通して皆に与えたいという願いを心底に持っていた。


雨情の人柄を最もよく表した詩に『捨てた葱 (ねぎ) 』がある。

「葱を捨てたりや/しをれて枯れた/捨てりや葱でも/しをれて枯れる/お天道さま見て/おら泣いた」。

葱は強い炎天下で植え付けを行うが、しっかりと根がつく。

しかしそんな強い葱ですら、捨ててしまえば萎 (しお) れて枯れてしまう。


当人が望んだわけではないのに、人生には不幸な事態を課せられてしまうことがある。

だからといって見捨ててしまえば、本当にその人は消えてなくなってしまうかもしれない。

だからこそ自分はそういう人々に愛を注ぐのだ。

日常の情景に悲哀を感じて人々に思いを馳 (は) せ、お天道様を見ながら涙している雨情がそこにいたのです。


雨情の詩は、人生経験を積むたびに味わいを増していくものだという。

日本人の心の故郷といえる童謡の素晴らしさを、雨情の詩に込められた人の優しさや美しさを、これからも語り続けていかなければならない。






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一心に貫いた人生
人生は常に孤独との戦いであると人はいう。

確かに半世紀を生きてみるとその感は否めないが、自分だけが孤独感を味わっているわけではない。

人生その道を究めた人たちは、自ずと孤独であったように思う。


詩道一筋を最後まで貫いた坂村真民が書いた一つ詩がある。

道を行く者は孤独だ
だが前から呼んで下さる方があり
後から押して下さる方がある

コツコツと希望を持って歩いていくと、前から光が差し、後ろから差しのべられる手があったのだ。

そういう不思議を何度も味わい、その実感がこの三行の詩に凝縮している。

困窮する生活の中で、一つの道を懸命に歩み続けた彼の詩には、等しく共感する重みのある言葉である。


坂村真民先生は明治42(1909)年に生まれた。

満8歳で父親が急逝し、36歳の母親は乳呑み児を抱え、5人の子どもを女手一つで育てなければならなくなった。

どん底の生活だったという。


彼自身も、自分の履くわら草履は自分で作り、学用品を買うお金を得るべく石炭俵を編む内職もした。

母は山畑を借り開墾し、そばやいもを作った。

そういう苦しい生活の中で、愚痴をいう代わりに母がいつも唱えていた言葉は「念ずれば花ひらく」だった。

この言葉が真民の詩魂に火をつけ、詩道一筋の人生を歩む原点となっている。


詩壇には目を向けず、「自分という人間を創り上げるために、そして人々の心に光を灯すために」苦しみから立ち上がる詩を書き続けた一生はまさに孤独の道であった。

その孤独との戦いを正面から挑み、生き続けた彼の人生の叫びと、己を叱咤( しった )鼓舞勉励( こぶべんれい )する言葉がつぎの詩の中にある。

よわねをはくな
くよくよするな
なきごというな
うしろをむくな
ひとつをねがい
ひとつをしとげ
はなをさかせよ
よいみをむすべ


一心に貫く人の生き方は厳しくもあり、また、それ故に、一心を貫く人生は美しいともいえる。

貫くものを持ち、心に美しい火を燃やし、尊い人生を生きよと教えた坂村真民の最後の言葉も、人生の心願ではなかったのだろうか。

よい本を読め
よい本を読んで己れを作れ
心に美しい火を燃やし
人生は尊かったと叫ばしめよ



詩集 二度とない人生だから
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いま甦るこだま ES1
     遊ぼう」っていうと「遊ぼう」っていう。

     「馬鹿」っていうと「馬鹿」って言う。
 
     ・・・・・・・・・・

最近耳にするこの詩、実は80年以上も前に作られている。

これだけ脚光を浴びるとは、当の本人も想像していなかった
だろう。

ACジャパンのCMで流れているこの詩「こだまでしょうか」
は、あの西條八十に「若き童謡詩人の中の巨星」と賞賛され
た金子みすゞの詩である。


昭和5年、26歳という若さで世を去った童謡詩人がいた。

山口県大津郡仙崎 (せんざき) 村(現・長門市仙崎)の地で生まれ育った金子みすゞは、郡立大津高等女学(現・山口県立大津高等学校)を卒業している。

成績は優秀で、おとなしい性格、読書が好きでだれにでも優しい人であった。


父は庄之助といい下関の書店・上山文英堂の清国営口支店長だったが、1906年みすゞが3歳のときに清国で不慮の死をとげている。

みすゞは幼くして母の妹(叔母)の嫁ぎ先である上山家に養子に出され、叔母の死後、上山松蔵とみすゞの母が再婚したこともあり下関に移り住んでいる。

1926年(大正15年)、みすゞは叔父松蔵の経営する上山文英堂の番頭格の男性と23歳で結婚し、娘を1人もうける。

しかし、夫はみすゞの正祐(実弟)との不仲から、次第に叔父に冷遇されるようになり、女性問題を原因に上山文英堂を追われていく。

みすゞは夫に従ったものの、自暴自棄になった夫の放蕩無頼 (ほうとうぶらい) は収まらず、後ろめたさからかみすゞに詩の投稿、詩人仲間との文通を禁じた。

さらにみすゞに淋病を感染させるなどした事から1930年(昭和5年)2月に離婚。

最期は親権を楯に一人娘を奪おうとした夫に抗するため、同年3月10日、みすゞは娘を自分の母に託すことを懇願する遺書を遺し、26年の短い生涯を服毒自殺という形で閉じている。

次に続く!



わたしと小鳥とすずと―金子みすゞ童謡集
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Author:ニック
■ニックネーム:人生の彷徨人
■住まい:神奈川県
■半世紀を過ぎた人生を振り返り、4人の息子に囲まれながら第二の人生を歩んでいます。

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