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命の代償 ES1
早朝6時、北大病院の研究室でパソコンを立ち上げる。

モニターに映し出されたメールの画面には、何十通という受信メールが届いている。

相談者の多くは、脳腫瘍を抱えた患者とその家族。

「この子を助ける手立てはないものでしょうか?」「どうかよい知恵をお貸しください・・・・」


切迫感に満ちた長文のメールに、様々な配慮を巡らせた上で返事を出すと、続けざまに、2度、3度とメールがくることがある。

時にはチャットのような状態となり、パソコンの前にいる限り、何度もやりとりが交わされる。

送り主は患者だけではない。


全国にある脳外科や小児科の先生方からも、見てほしいとの依頼があり、メールに患者さんのMRI画像が添付されてくることも珍しくない。

彼はそれらのメールに対して、必ず返事を出す。

報酬は一切受け取らず土曜、日曜も一日の休みもなく、朝も昼も夜も、時間の許す限り、キーボードを叩いている。

小児脳腫瘍の治療において、日本を代表する名医と言われている澤村豊(さわむら・ゆたか)医師の話です。


小児がんの中でも、特に難しいとされる小児脳腫瘍の手術は、うまくいかなかった場合、命を落としたり、後遺症をつくってしまうことが多分にある。

家族にとっても精神的負担の大きい手術は、受ける前にできれば他の医者の意見も聞いてみたいと思うのが自然な感情なのだろう。

しかしどこに聞いてよいのやら分からないのが現実であり、彼が行っているのは、そうして困っている患者たちのセカンドオピニオンであり、相談内容に応じて、地元の信頼できる病院を紹介したり、知り合いの医師に対して紹介状を書く。

患者が負担する交通費や術後のケアのことなども考え、彼自身はめったなことでは手術を引き受けないという。

どこの病院へ行っても手の施しようがない、というケースに限って彼は受ける。


彼がそうした医療者としてのあり方を学んだのは、30代の頃、2年間スイス留学したときの医師ニコラ・ド・トリボレー医師の影響であるという。

トリボレー医師は非常に有能な脳外科医であると同時に、患者に対しても大変優しく、学者としても研究熱心で、医者の鑑のような人であった。

そしていつも、「手術を行う前に、本当にその手術が必要かどうか、本当に患者さんの体を切らなければならないかをまずよく考えなさい」と言っていた。


その判断と見極めをするためには、専門分野以外にも膨大な知識の蓄積が必要で、外科手術を学ぶことよりも、はるかに長い時間の勉強量が求められている。

“単に手術の仕方を覚えただけでは、本物の脳外科医とは呼べない”そのことをトリボレー医師は、自身の身をもって示してくれていた。


次に続く!


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命の代償 ES2
彼はその後、脳腫瘍に対する「鍵穴手術」の考案者である福島孝徳医師にもアメリカで世話になり、献体を使う臨床解剖の場を提供していただいたことで、難しい手術にも取り組めるようになった。

これまで様々な手術をこなしてきたが、患者のことで覚えているのは、自分の力及ばず助けられなかった方、辛い思いをさせてしまったその家族のことばかりで、凄惨 (せいさん) な記憶以外には何も残っていない。


患者や家族は、ここに来れば助かると信じて、遠方から彼を頼って来る。

しかし必ずしもよい結果を残せるとは限らず、思いもせぬ事態に遭遇し、そんな時は、家族の姿を彼は黙って見ることしかできない。

難しい手術だったのだから仕方がない、と、なんとか自分を納得させることなどとうていできない。


脳外科医は、その痛烈な経験を積み重ねながら、60歳を過ぎて引退する日まで、限りなく進歩を続けていかなければならない。

すると、数年前の手術を振り返ってみて、あの時そうせず、こうやっていれば助けられていたのに、という悔恨 (かいこん) の念がいつまで経っても胸中を去らない。


もうこれ以上、悲惨な思いはしたくない。


誰かが他にやってくれればいい、と思うこともある。

彼がいま、難しい手術の依頼を引き受けるのは、国がお金をかけ、患者が自分の体を張って育ててくれた技術や経験を、世の中に少しでも返していかなければならないという気持ちからである。

だから彼は、毎日寄せられる膨大な数のメールに、自分の得た知識と経験を注ぎ込んで、伝えるべき言葉を紡 (つむ) ぎ出している。


我々脳外科医の生命は非常に短い、と彼はいう。

50歳近くになって、ようやく手術の何たるかが分かるようになってから引退まで、わずか10年余りの月日しかない。

彼の周りに集まる重症患者の消えいく命の炎を幾つも見たり聞いたりすると、どんな人の人生も有限で、残されている時間が非常に少ないことを痛感する。

だからこそ、自分にいまできることを精いっぱい、淡々と行っていくしかない、と澤村医師は語る。


医師の積み上げられた経験と技術は医師一人だけのものではない。

助けられなかった命の代償は国民にとっての大切な財産であるとともに、そのことを医療者はよく自覚し、さらなる研鑽 (けんさん) を積まなければならないと語る澤村医師は、今日もキーボードをたたき続けている。



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心を救う医療 ES1
16年前、軍事政権下のミャンマーに一人渡った日本人医師がいます。

彼の名は吉岡秀人(よしおか・ひでと)といい、貧困国の医療の状況を目にし、医師としての自分の役割を模索し始めていた。

私財を投じて国際医療奉仕団ジャパンハートを設立、日本の歴史に根ざした「真の日本人にできる国際貢献」を目指して活動を続けている。


彼が初めてミャンマーを訪れたのは1995年11月のこと、ちょうど戦後50年の年で、彼は30歳になっていた。

ミャンマーでは戦時中30万人の日本軍が従軍し、20万人が亡くなっている。

その遺族の方たちが戦後ずっと慰霊を続け、医療事情が悪いのを見て、医師の派遣を要請してきた。

いままでの日本のNGO団体はまったく医療の知識のない人が現地の代表になるなど、かなり杜撰(ずさん)なところがあり欧米のNGOからもバカにされていた。

この流れを変えなければいけない、もっとクオリティーの高い医療で勝負したいと吉岡医師は考えるようになる。


吉岡医師の医療活動は、現地の医療関係者との軋轢(あつれき)を避けバランスを取った活動を行う。

それでなくとも先進国の医療レベルの高さや、外国人の医者だったら治してくれるだろうという思いがあり、バランスを欠くと現地の医師たちが活動の邪魔をする。

また、彼らは吉岡医師という個人としてではなく、日本人の医者として見ているので、彼が不親切な行動をとれば、次にやってくる日本人がやりにくくもなる。

逆にしっかりした行動をとっていれば、次の人たちの仕事がスムーズに進む。

ここでは常にそういう意識を持っていなくてはならないと語る。


吉岡医師がこの組織を運営している大きな目的は、海外での医療体験を積ませ、日本の若い人たちを育てることにある。

そのためになるべくたくさんの人を受け入れることが必要で、他の組織なら面接や書類審査をして語学力がないと落としたりするのが一般的ですが、ここではそういう評価方法はとらない。


住居と食料は組織がサポートをするが、それ以外は飛行機代も含めて全て自腹、ここでは無給なのです。

自分のためにやるのだから給料は要らないだろう、と考えているからです。

それでもたくさんの人がやって来るという。


次に続く!



飛べない鳥たちへ―無償無給の国際医療ボランティア「ジャパンハート」の挑戦
飛べない鳥たちへ―無償無給の国際医療ボランティア「ジャパンハート」の挑戦吉岡 秀人

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心を救う医療 ES2
吉岡医師はこの国の医療体制は確かに遅れていると感じる。

しかしそれは仕方のないことで、医療というのは経済抜きでは発展しない。

日本の医療にしても、本格的に出血している箇所を手で押さえて待っているという感じがしている。


清潔な手術室でやるものだという固定観念では、この国で手術はできないことも痛感する。

手術を求めている人たちが目の前にいて、それに応える技術を持つ自分がいる時、どんな劣悪な環境でも手術を決断する自分がそこにはいる。

なんとか命を助けようと一所懸命に頑張っても、助からない人は多くでるし、逆に、ちょっと失敗したなと思っても、元気になる人もたくさんいる。


その時、医者って何なんだと考えたとき、人の生き死にの結果は医者の手の中にはないということに気づかされる。

結果が出るまでのプロセスが医者としての人生であり、その人が助かろうと助かるまいと必死になってやる、悩んで苦しんで、時には喜べる。

それが自分の人生なのだと気づいたとき、人生というのは質が大切なのであって、結果に振り回される必要はないと悟る。


結果というのは自分の人生ではなく、相手の人生であり、相手の人生をコントロールしてはいけないということにも気づく。

自分にできることは、自分の人生をより良くコントロールしていくことだけなのです。

病気というものを通して一人の患者と向き合う時に、どう考え、どう行動し、どういう思いで治療するかというとしかない。

彼はそのことをミャンマーで知るのです。


いままでの自分の人生を振り返り、彼はこんな例えで語っている。

切り立った断崖があり、そこに行けば、この世のものとも思えない美しい景色を見ることができる。だから、みんなその場所を目指すのですが、危ないからなかなか近づけない。10年前の私は、その断崖から10メートル手前にいたと、いまではよく分かります。
滝の落ちる激しい音が聞こえ、水しぶきまで飛んでくるけれど、その景色を目で見るまでには至っていなかった。
「地位を求めず、名誉を求めず、金を求めず。地位や名誉や金は、あなたがそれを使って世の中のために頑張るために、天から与えられるものだ」この文章に出合った時、自分もこう生きたいと思った。


そしていま、彼は自分の組織をつくって、時間も財産もすべてをそこに注ぎ込んで、断崖の上に立っている。

目の前には恐ろしいけれど、信じられないほど美しい景色が広がっていると語る。

見ると人生観が変わり、本当に大切なものは何か、それが手に取るように分かるのです。

それは素晴らしい世界であり、だから、看護師や医者にも、人生の一時でもいいからここに来て、この景色を見たほうがいいと言い続けている。


逆境に背を向けるのではなく、逆境を楽しむくらいの気概を持ち、常に自分の中に必要悪として飼っておく、邪魔をする人がいても、排除するよりうまく折り合いがつく方法を見つけ出す。

いまここにある自分は、いろんな偶然や縁の連続性の上に生かされているのであって、それを楽しみながら感謝し、自分の質を高めるように一生懸命生きていくことが大切だと思うのです。



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無医村からの医療 ES1
この震災で壊滅的被害を受けた岩手県に、いまから29年前、無医村の田野畑村にやってきた一人の医師 将基面誠(しょうぎめん・まこと)さんの話です。


彼は満州で生まれ、9歳の時に敗戦を迎える。

それまで何不自由なく過ごしていた生活が一転し、疎開先の平壌で強制収容所に送り込まれ、過酷な収容所生活を余儀なくされる。

零下20度前後の寒さの中、食事は朝晩、小豆を大さじ一杯と塩味のお汁一杯のみ。

極度の栄養失調により、一緒にいた日本人の多くが痩せ衰えて死んでいく。

2歳になったばかりの妹も、伝染病にかかり病院で隔離され、暖房もない凍てつくような寒さの病院で、伝染病だからと、冷たい消毒液の中に入れられた。


お骨を抱いて戻ってきた母親は「あんな冷たい液に浸けられて助かるわけはない。子どもを殺したようなものだ。あああっ・・・」と涙を流していた。

あの時、幼心に抱いた「医者がいれば助かったのに・・・」という思いが、その後、医師を志し、無医村へ向かわせる原点になった。


彼は昭和37年千葉大学医学部を卒業し、千葉県がんセンター婦人科医長を務めています。

当時はがんを撲滅するという考え方が一般的であり、手術療法も、放射線治療も、抗がん剤による化学療法も、みな、どんどん新しい技術・装置・薬剤の開発が進み、それらを積極的に取り入れること、それが患者のためになるというものだった。

死ぬ瞬間―死とその過程について (中公文庫)
しかし最先端の医学を駆使しても、どうしても救えない命がたくさんあった。

これでいいのかなという医療のあり方に疑問を持つようになる。

そういう中でキューブラー・ロスの『死ぬ瞬間』を読んだことが大きなきっかけとなり、人の気持ちを支える医療への関心や、医療に恵まれていない所で働きたいという気持ちが湧き上がってくるのです。


北に行きたいという思いと、若い時に読んだ菊地 武雄の「自分たちで命を守った村」に感銘を受け、岩手県庁に無医村で働きたいと手紙を出した。

程なく村の診療所の事務局長が訪れ、いろいろな話を聞き早野村長との出会いで決意は固まった。


しかし、予期せぬことが突然起こるのです。


子どもの転校手続きも済ませ、引っ越しを1ケ月先に控えた深夜、仕事を終えて帰宅すると妻が倒れていた。

慌てて抱き起こすと、うっすらと瞼を開きひと安心したものの、顔にはまるで血の気がなかった。

翌日採血をしたところ血液に異常があり、がんセンターに検査入院をする必要があると診断された。


行く決心が揺らぎ始めていた時、妻が「夫と子ども3人が知らない土地へ行くのに、私だけ残ってはいられない。一緒に行くのが当然じゃないか」と主張して譲らなかった。

断念しかけた心が、妻のこの一言で赴任を決意するのです。


昭和57年、「陸の孤島」といわれた岩手県田野畑 (たのはた) 村に医師として45歳で赴任します。

妻と3人の子供を連れての新たな人生の旅立ちでした。

次に続く!


無医村に花は微笑む
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Author:ニック
■ニックネーム:人生の彷徨人
■住まい:神奈川県
■半世紀を過ぎた人生を振り返り、4人の息子に囲まれながら第二の人生を歩んでいます。

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